掛川市の掛川西高等学校近くに「かわにしはし」(だったと思う)という橋があります。
渋いモノ好きな私としては前からずーっと気になっていて、やっと激写できました!
橋のたもと?に獅子をかたどったような渋~い像があり、しかも
角が1本のものと2本のもの。
好みは1本のほうですが。
1本と2本 違いは何?
掛川大獅子に関係しているのかなぁ・・・
誰か知ってる人がいたら教えてください。
茶処、静岡県掛川市から新たな日本茶文化を発信
掛川市の掛川西高等学校近くに「かわにしはし」(だったと思う)という橋があります。
渋いモノ好きな私としては前からずーっと気になっていて、やっと激写できました!
橋のたもと?に獅子をかたどったような渋~い像があり、しかも
角が1本のものと2本のもの。
好みは1本のほうですが。
1本と2本 違いは何?
掛川大獅子に関係しているのかなぁ・・・
誰か知ってる人がいたら教えてください。
こちら掛川は、朝方の大雨から打って変わって
午後は良いお天気となりました。
この焼けるような陽射しの中、気まぐれで
以前ご紹介した、
http://www.kimikura.jp/blog/archives/137.html
徳川家康ゆかりの陣場峠に行って来ました。
ここ掛川ですが、全国的に言えば知名度というか観光名所はあまり知られていないのではないでしょうか。そこで今後、【掛川名所案内】として順次ご紹介していきたいと思います。
まずは、掛川と言えば新幹線の車窓からも見えますが、NHK大河ドラマ「功名が辻」でも有名になった掛川城がおなじみだと思いますが、栄えある掛川名所案内第1回目は、『茶菓きみくら』のすぐ近く。車で僅か5分の場所にある隠れた名所をご紹介したいと思います。
さて、『茶菓きみくら』の前の道路は、太平洋側(相良方面)から掛川市の中心部に抜ける道として結構往来が激しいのですが、この道とほぼ平行して道の少し北側には、旧街道が残されています。
旧街道と言っても、ただの古い道ではありませんよ~。この道こそ長野県塩尻市を起点に太平洋側(相良方面)からと(日本海側)新潟県糸魚川市から続くルートで、日本列島を南北に縦断する総延長350kmの最長最古の道と言われる『塩の道』 なのです。
→塩の道とは?
本来「塩の道」というのは岩塩のない日本では海でとれた塩と物資を内陸に運ぶための道のことを言い、海岸から内陸にむかって無数の「塩の道」がありました。
その中でも静岡県の相良から長野県塩尻を市抜けて新潟県糸魚川市のルートは、日本列島交通の東西軸である旧東海道や旧中山道に対し、南北軸の一つとして古代から黒曜石の道、中・近世の南北物流の道、戦国武将の道、信仰の道等、多くの物産や文化交流を育んできた道なのです。
全体を通しては「塩の道」と称されますが、個々には秋葉街道・信州街道及び千国街道・松本街道などと称されています。
そして、茶菓きみくらから、この塩の道をほんの少し西に行ったところにあるのが『陣場峠』です。前置きが相当長くなってしまいましたが、今回はこの『陣場峠』のご紹介です。
とにかく行ってみましょう!![]()
現在は途中で旧街道『塩の道』から北に向かってわき道に入る感じなのですが、トンネルが無い時代は、やはりこの峠を越えるしかなかったのだと思います。茶畑の中を延々と登っていきます。軽自動車ならなんとか通れる道幅です。当然すれ違いは出来ません。
↑上の写真は途中で振り返ってみたところです。ちなみに中央の白い建物は丸山製茶の製茶工場です。さらにその向こうに茶菓きみくらがあります。
![]()
頂上はちょっとした広場になっています。直前まで軽自動車なら行く事ができますが方向転換する場所がありませんので、曲がりくねった下り坂をバックで帰る事になりますのでご注意。
ここは、掛川市杉谷と板沢の頂点境で、もとは青田嶺といわれ、市の中心までは約1キロメートルの位置で二つの峰からなっている。西を西陣場その西を蛇バミ峠といい東を東陣場という。
永禄十一年(1568)徳川家康は武田信玄と大井川を境にして駿河・遠江を分割することを約束し、遠州に進攻した。同年十二月今川氏真は信玄に駿河を追われ、掛川城の家臣朝比奈泰朝に身を寄せた。
そこで、当時二十六歳の家康は六ヶ月にわたってこの城を攻めた。
この掛川城攻めの際この山上を陣地としたので陣場峠とよばれるようになった。総延長350kmの最長。
ふもとには、取手、矢崎などの地名が残っている。
★広場を抜けると・・・絶景です!感激します!
掛川市内全体が展望できます。![]()
今回は冬場の夕方近くに行ったのですぐに薄暗くなってしまい、じっくりと探索できませんでした。再度快晴の日に訪れてもっと写真を撮って来ようと思います。